大徳令子の歩み

私は小さい頃から、美しい花やお洋服大好きな子供でした。 

 

子供の頃より素敵なお洋服を着られたお姉さまを見ると、私もああなりたいと願望をもっていました。 

社会人に成ってからは、お給料頂けると、直ぐに洋品店でお買い物するのが

楽しみなOL でした。

 

読む本も1970年代当時、フレンチヴォ-グ・流行通信・家庭画報・等々

ファッション雑誌を買い見て楽しみ、お買い物やオーダーする時のヒントにしていました。 

■大事故に合い、生死をさまよう

昭和41年(1966年)、結婚と言う人生にとって大転換期を迎え、昭和42年(1967年)長女を授かり出産。

翌年43年(1968年)に長男を出産しました。

そんな幸せな中、長男を出産して2ヶ月後に夫の運転する車で大事故に合いました。

 

意識不明で生死をさまよい目は見えない、しゃべれない、身体は動かない状態、

私は遠い意識の中で、「二人の子供を残して死んでなるものか・・・・と言う強い想念がありました。 

 

治療にあたる先生方が、家族を呼び、

「病院側としては尽くせるだけのことはしました。 あとは、神のみに祈るだけです。と身内に報告している様子を、

私は意識不明な状態の中で、「死んでいないのに、 どうしてそんなこと言うのだろうと思っていたのを

記憶の奥底で覚えています。 とても不思議な体験でした。

 

 

■初店舗、喫茶「キャラバン」をオープン

その後、見事に死の底から生還し、昭和45年(1970年)5月二男を出産。 

 

日頃より、市場調査・メニュー開発等、研究を進め

1970年7月 安城市古井町に於いて、「喫茶キャラバン」をオープンしました。 

 

お店は、岡崎~西尾街道沿いにあり、広い駐車場がありました。

 

しばらくすると、近郊では大繁盛のお店として広く知られ、

私は、朝の開店から閉店までの時間、毎日必死に働きました。 

■1978年念願のファッション販売へ

 「喫茶キャラバン」が成功すると、次の経営に興味がわき、

子供の頃から好きだったお洋服を扱う、ブティックがやってみたいと願望が募りました。

 

そして、ついに1978年名古屋市昭和区に於いて、「ブティックSOUVENIR」をオープンし

念願のファッション販売に携わる事となりました。 

1978年~1981年の3年間営業致しました。

そんなある日、知り合いの宝石店の香港旅行に

出かけるチャンスが有りました。

その旅をきっかけに、私は旅の魅力に取りつかれ、

現在まで私の旅好きは続いております。

 

 

 


■1981年安城市にブティック「SOUVENIR」オープン

 

1981年安城市御幸本町にエミルタージュビルに移動。

1F・・・・・・・・『ブティック SOUVENIR

2F,3F・・・・・・フランス料理『シェジャーニ

4F・・・・・・・・・スタジオ101

をスタートさせ、社員共々皆で頑張り安城の地で少しは認知していただきました。 

 

 

1984年、不運にも、子供3人道ずれに離婚成立。

安城駅の近くでマンションを賃貸で、私の両親、子供3人、私の6人での生活が始まりました。 

 私達6人の生活と、従業員の生活を守らなければならず、皆さんに協力頂きながら必死の想いで働き続けました。  

 

 1988年には『株式会社、スーベニール』設立。

順調に業績を伸ばしていきました

 

その頃から社員旅行を開始、2月はグァム、サイパン、ハワイ、オーストラリア等々 

 8月は仕事に生かせるヨーロッパへ出かけられるようになりました。 

 

 



初めてのパリは、念願であり憧れのクリスチャンディオール店内にお邪魔した時の事は昨日のように鮮明におぼえています。



パリ研修旅行にて(1997年)

パリの中の店舗、YSL,エルメス、ゴルチェ、 カルーラガフェルド、等々あらゆるお店に伺い写真撮影。

フランス バルビゾン村にて  ミレー記念館 館長と

ファッションばかりでなく、美術館巡り、凱旋門、エッフェル塔、モンマルトル広場等々 

 

セーヌ河にて

夜になるとセーヌ河の船に乗りバート―ムッシュ「船上での食事、ダンス」リド・ムーランルージュ・パラーリィラタン等楽しめる所は沢山あります。 


 また足を延ばしてパリ郊外、ジュベルニにあるモネの庭園、

バルビゾンにあるジャン=フラン  ソワ・ミレーによって描かれた「落穂拾い」が見れるオルセー美術館、フランス西海岸、

サン・マロ湾の上に浮かぶ小島「モンサン=ミッシェル」等 

いろんな場所を訪ねました。

 

 

 その他、イギリス、スペイン、イタリア、スイス等出掛けて来ましたが、ファッションの感性 研きには、パリは欠かせず、

パリとイタリア。パリとイギリス。 このように毎年恒例の様に 出掛けて勉強して来ました。 

 

数回出かけている内に気付いたことは、販売に関しては日本もパリもない、プロ意識をもってお客様の立場に立って行動する。

言葉の壁は有っても、ハートは世界共通を実感いたしました。 

 

 今現在は、昔ほど度々研修旅行に行く事は出来ませんが、インターネットやスマートフォンの普及により

 瞬時にどんな国にも回線を通して、色々な情報が得られる様な社会に成り世界中が、身近に感じられる世の中に成りました。

 

そんな幸せを多くの人に、大事なお客様に伝えられる『スーベニールでありたいと願い働き続けます。 

 

 

大徳令子